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福岡高等裁判所 昭和30年(う)35号 判決

主文

被告人熊本芳、同吉野正勝の本件控訴を却下する。

原判決のうち、被告人高城正雄、同広渡正和に関する部分を破棄する。

被告人高城正雄、同広渡正和の両名を各禁錮八月に処する。

但し、同被告人ら両名に対し、この判決確定の日からいずれも二年間その刑の執行を猶予する。

訴訟費用のうち、原審及び当審の証人末岡誉三郎に支給した分は被告人高城正雄の負担、原審証人柴田喜三、同伊藤昌美、同益田宏吉及び弁護人清水正雄に支給した分は被告人広渡正和の負担、原審証人合屋清に支給した分は被告人熊本芳の負担、その余は全部被告人ら四名の負担とする。

理由

本件控訴趣意は、被告人高城正雄につき弁護人三原道也、同水谷金五郎、被告人広渡正和につき弁護人清水正雄、被告人熊本芳につき弁護人牟田真、被告人吉野正勝につき弁護人和智昂、同武井正雄、同和智竜一三名連名、並びに弁護人和智竜一各提出の控訴趣意書記載のとおりである。

右に対する判断。

第一、牟田弁護人の控訴趣意のうち

(一)被告人熊本芳に関する事実誤認のA(「西鉄新宿駅への引返し」の点)について。原判決が、本件事故発生に至るまでの経過事実摘示中に「……被告人熊本は……同所(線路故障現場)に停車中の下り一〇七列車を運転して西鉄新宮駅に引返すため……」との旨、並びに、被告人らの注意義務及びその違反事実摘示中に「……同被告人は同列車を運転して西鉄新宮駅に引返すため……」との旨を摘示していることは所論のとおりである。しかし、その摘示の趣旨は、被告人熊本は、判示線路故障現場に停車中であつた判示一〇七列車に乗り込み、これを運転して、同列車がさきに発車した西鉄新宮駅の方向に向けて同所を発車進行したというその進行の方向を示すために「引返す」ということばを用いたのであつて、列車運転系統上の固有の意味における列車番号を判定する趣旨でないことは、判文自体に徴して明かである。熊本被告人の主観において、同列車が和白駅より右線路故障現場まで運転して来た上り一〇六列車の延長であつた事実は、これを肯認するに難くないところではあるが、和白、新宮両駅の助役の間に打合わせられたところにしたがえば、同列車が一〇六列車の延長に該当しないことは後段説示のとおり明白であつて、原判決が同列車を一〇六列車の延長と認めなかつたからといつて、直ちに事実誤認の違法があるものとは断じ難く、被告人熊本の判示列車の運転が「引返し」であつたかそれとも「前進」であつたかは、同被告人の判示過失の有無に直接の関係はないものと認められるので、右の点は何ら判決に影響を及ぼすべき事項ではない。論旨は理由がない。

(二)同事実誤認のB(被告人熊本に対する被告人高城の指示の中に「指導式により」という指示がなされたか否かの点)について。

被告人熊本において、判示上り一〇六列車を運転して和白駅を出発するにあたり、同駅助役たる被告人高城から、少くとも「三苫、和白間が崖崩れしている、折返し運転する」旨の指示を受け、タブレツトを手交されて受取つた事実は被告人熊本の検察官の面前における供述並びに原審公判における供述によつて明かである。閉そく区間の変更や閉そく方式の変更は運転に関する重大な事項であつて、当務助役は乗務員に対し、明確に、かつ、了解のできるようにこれを指示しなければならないことは、まことに所論のとおりであるが、西日本鉄道株式会社運転取扱心得(以下運心という。)第一五五条によれば、タブレツト閉そく式を施行する閉そく区間で、故障その他の事由により、一区間を二以上の区間に分割し、閉そく方式を変更して代用閉そく式を施行するときは、指導式とすること明白であるから、被告人高城の前記の指示、すなわち、「三苫、和白間が崖崩れしている、折返し運転する」旨の指示は、閉そく区間を右崖崩れの個所によつて二個の区間に分割変更し、タブレツト閉そく式を代用閉そく方式たる指導式とする趣旨の指示たること明白であり、この趣旨はいやしくも運転に従事する関係者にとつては、何人にもすべて、明確かつ容易に理解されうるところであると認められるので、指示のことばの中に、「指導式による」ということばが明白に用いられた事実の有無いかんにかかわらず、「指導式により折返し運転すべき」趣旨の指示であつたと解して何ら支障はない。原判決が、被告人熊本において被告人高城より受けた指示は右の趣旨の指示であつたと認定したのは相当であつて、右の認定をもつて、事実の誤認とする論旨はあたらない。

第二、三原、水谷両弁護人(被告人高城関係)の控訴趣意について。

(一)本件列車衝突事故発生の経緯の概要について。

本件記録並びに証拠によつて明白に認められる本件列車衝突事故発生の経緯は大略次のとおりである。

運転士永浜正行は、昭和二八年七月八日午前七時〇四分頃西日本鉄道株式会社(以下西鉄という。)宮地岳線下り一〇七列車(三輌編成の電車)を運転し、和白駅に向い西鉄新宮駅(以下新宮駅という。)を発車したが、右両駅間は、単線でタブレツト閉そく式の施行される一閉そく区間であつた。同運転士は同日午前七時一〇分頃新宮駅より約二、五四〇米(和白駅まで約一、三〇〇米)の地点にさしかかつた際、同線路南側の崖が、たまたま数日来の多量の降雨により土砂崩壊を生じ、線路がその崩壊土砂石塊等に埋沒されていて列車の運転通過ができない線路の故障を発見したため、同所に停車し、ただちに同列車の車掌石橋忠臣をして、線路伝いに同所から最も近い和白駅に走らせて線路の故障状況を報告させたが、その際、同列車のタブレツトを石橋車掌に託し、同車掌をしてこれを和白駅に携行させ、同駅当務助役高城被告人に手交させた。

永浜運転士が右のように、運転区間の途上に停車中みずからの意思によつて、自己の列車のタブレツトの携帯を放棄するが如きは、きわめて異例に属する措置であつて、本件事故は、不幸にもその一原因を遠くすでにこの異例の措置にひそめていたとも見られうるのであり、しかも、同運転士においては、前記両駅間の一閉そく区間が線路故障の箇所を堺としてやがて二箇の区間に分割され、その各区間にいわゆる折返し運転の方法がとられるべき状況であることを思い、約五〇〇名の多数に上る右一〇七列車の乗客を早急に和白駅に輸送すべく、和白駅側の区間における折返し運転にのみ専念する余り、停止中の一〇七列車の措置については、和白駅より何分の指示が与えらるべきものと期待していたにとどまり、他に格別の注意を用いることなく、殊に、西鉄運転取扱心得(以下運心という。)所定の防護(第四〇七条第四〇八条第四一一条等の規定による第三九八条の防護、すなわち、支障箇所の後方七〇米以上を隔てた地点における停止信号の現示、支障箇所の後方二〇〇米以上の地点における停止、更にその外方二〇〇米以上を隔てた地点における信号雷管の装置等、接近する他の列車に備えての防護)の措置は、全くこれを実施していなかつた。

和白駅当務助役であつた高城被告人は、同日午前七時二五分頃、前記石橋車掌の報告により、前記線路の故障状況を諒知すると共に、同車掌より一〇七列車のタブレツトを受領し、これをタブレツト閉そく機に納めることなく自己の手もとに保管した上、ただちに、電話をもつて、新宮駅当務助役たる広渡被告人に右線路の故障状況を報告した後、右の線路故障に伴う爾後の列車運転に関する指令を仰ぐべく西鉄電車香椎営業所(以下営業所という。)を電話をもつて呼出そうとしたが、たまたま、電話交換手の不応答もしくは通話の錯綜等一時的の支障のため、同営業所との間に高城被告人みずから直接に通話することができなかつた。ところが、高城被告人は、その頃別の電話によつて通話していた和白駅助役松岡京一から、「阿部係長(営業所運輸係長阿部栄)との連絡がとれた。『線路故障現場までの折返し運転』をすべき旨の阿部係長の電話である旨」を伝達されたので、これをもつて折返し運転、すなわち、新宮、和白両駅間の一閉そく区間を線路の故障箇所を堺として二箇の区間に分割する閉そく区間の変更、並びに右各区間におけるタブレツト閉そく式を指導式とする閉そく方式の変更、に関する運転整理担当者の指令と解し、右折返し運転を具体的に実施する方法について、更に電話をもつて新宮駅の広渡被告人との間に打合を行つた。

その当時和白駅には、同駅において下り一〇七列車と離合する予定であつた上り一〇六列車が待機中であり、新宮駅には同駅において上り一〇六列車と離合する予定であつた下り九列車が待機中であつて、下り九列車には、和白駅において国鉄香椎線六一二列車に接続乗りかえて西戸崎駅方面に赴くべき進駐軍関係労務者多数を含む約五〇〇名の乗客が乗車している事実が判つていた関係上、高城被告人としては、下り一〇七列車の乗客の輸送もさることながら、むしろ主として下り九列車の乗客の早急輸送に重点をおく心的状態であつた。

かくして、高城被告人と広渡被告人との間に行われた右の打合せは、「双方の区間ともそれぞれ指導式により線路の故障現場まで折返し運転をする。もとの一〇七列車のタブレツトはこれを和白駅側の区間における指導者の代りに使用する。和白駅においてはただちに上り一〇六列車を発車させる。新宮駅においても早急に下り九列車を発車させる。下り九列車の乗客は線路の故障現場において和白駅側の区間の列車に収容して和白駅に折返す」旨の相互の諒解に落着した。

かくして、高城被告人は、同日午前七時三〇分頃、前記タブレツトを運転士熊本被告人に手交すると共に、同被告人に対し、「崖崩れによる線路の故障現場まで折返し運転」をすべき旨を指示して上り一〇六列車を発車せしめた。熊本被告人は、車掌吉野被告人と共に高城被告人の指示により右のとおり上り一〇六列車に乗務発車し、同日午前七時三二分頃線路の故障現場に到着したところ、前記永浜運転士が下り一〇七列車の乗客を誘導して、すでに線路の故障箇所をこえ、和白駅側の箇所に待機していたので、所携のタブレツトを永浜運転士に手交すると、同運転士は石橋車掌と共に右一〇六列車に乗務し、一〇七列車の乗客を収容して和白駅に折返した。

熊本運転士は吉野車掌と共に、上り一〇六列車の乗客を誘導して、同所に停止中の一〇七列車に乗車させた上、みずから同列車を運転し、同日午前七時三六分頃新宮駅に向つて同所を発車した。熊本運転士並びに吉野車掌が右のように一〇七列車に乗車したのは、従来西鉄宮地岳線においては、いわゆる乗りつぎの慣行、すなわち、折返し運転の際双方の列車乗務員は、それぞれもとの列車に乗務したまま折返し地点から事実上折返すのでなく、たがいに折返し地点をこえて列軍を乗りかえ、進んで来た方向へ乗りつぎ乗務する慣行が公然と行われていた事実があつて、ただ右の慣行に従つたのに過ぎないものであり、また、熊本運転士において右のように一〇七列車を運転し新宮駅に向けて発車したのは、一〇七列車の措置もしくは下り九列車の運転等に関し何ら言及されるところなく、ただ、「折返し運転」の旨の指示を受けたのと、和白駅において高城助役が電話をもつて本件折返し運転に関し打合せを行つている状況を目撃していたため、一〇七列軍が新宮駅に到着するまで、同区間に他の列車を運転させない点までの打合せが行われたものと即断し、不覚にも列車衝突等の危険を考慮に入れていなかつたためであつた。

一方広渡被告人は、高城被告人の通報により、線路故障のため下り一〇七列軍が同故障箇所に停止している事実を諒知し、次いで前記のように高城被告人との間に折返し運転に関する打合せを行い右の打合せにしたがつて、同日午前七時三八分頃、運転士村上卯三及び車掌八谷善吾に対し、乗客約五〇〇名の乗車する下り九列車につき、「指導式により折返し運転」すべき旨指示し、かつ、荒津駅員を指導者として乗車せしめて同列軍を発車せしめ、右村上運転士及び八谷車掌は広渡被告人の指示により下り九列車に乗務し、線路故障箇所へ向つて新宮駅を発車した。かくして、熊本運転士の運転する一〇七列車と村上運転士の運転する九列軍とは単線区間を双方より同時に進行接近し、同日午前七時四〇分頃判示地点において遂に正面衝突し、判示のように四名の死亡、九七名の重軽傷という結果を惹起するに至つたものである。

(二)被告人高城正雄に関する事実誤認の論旨のうち

(い)折返し運転に関する運転整理担当者の指令の点(前同控訴趣意書各第一点)について。

所論によれば、本件折返し運転の決定、すなわち、新宮和白両駅間の一閉そく区間を、線路の故障箇所を堺として二箇の区間に分割する閉そく区間の変更並びに右各区間におけるタブレツト閉そく式を指導式に変える閉そく方式の変更は、運転整理担当者の指令によるものであり、原判決が「判示松岡京一は、運輸係長阿部栄が線路故障現場を中心として折返し運転をすべき意思を表明したのをたまたま電話で傍受し、これを高城被告人に伝達し、高城被告人は更に電話で広渡被告人との間に折返し運転の具体的方法について協議決定」した旨の事実を認定したのは、事実の誤認である、というのである。

しかし、原審第三回公判における証人胡井春繁、同西田久刀、同第四回公判における証人阿部栄、検察官の面前における西田久刀(第一回)、同胡井春繁(第一、二回)の各供述に徴すれば、本件事故発生当日の運転整理担当の当務者胡井春繁において、その上司たる運輸係長阿部栄との間に、電話をもつて本件線路の故障による列車の運転を、故障現場の徒歩連絡による折返し運転とすべき旨を打合わせた上、その旨の指令を関係駅たる和白駅及び新宮駅の各当務助役に指示すべく、西鉄電軍香椎営業所から電話交換手を呼出して通話しようとしているうちその電話に、逆に、広渡被告人から本件列車衝突事故の通報があつたのであつて、線路の故障箇所を堺とする本件折返し運転の指令は、関係駅の当務助役に対し、未だ何人にも指示されていなかつた事実が明かである。原審公判における証人松岡京一並びに広渡被告人の各供述中には、和白駅助役松岡京一において阿部係長から右の指令をうけてその旨を高城被告人に伝えた旨、並びに広渡被告人において右閉そく区間の変更並びに閉そく方式の変更を行うべき旨を申入れ、これに対し運転整理担当者胡井春繁の諒解を得た旨の供述も存するのであるが、同供述は、前記の事実その他本件記録に現われた諸般の事情に照らしてにわかに信を措き難いものがあり、原判決が同供述を採用せずして、判示のような事実を認定したのは相当であつて、この点に関する原判決の事実認定をもつて、特に不合理と目すべき格別の事由が存するものとは認められない。事故のため閉そく方式又は閉そく区間を臨時に変更する必要が生じ、しかも運輸係長又は運転整理担当者の指令を受けることができないときは駅長の専決施行が運心第一一三条によつて認められているのであるが、この場合は、隔時法、票券隔時法又は指導隔時法を施行する場合、すなわち通信杜絶の場合に限られるのであつて、本件は、通信杜絶の場合でなかつたこと証拠上明白であるから、運心の規定上は駅長の専決施行が許される場合にあたらないこと明かである。しかし本件の場合は、電話交換手の不応答もしくは通話の錯綜等、通話の一時的な支障のため、関係駅と運転整理担当者との間の電話による通話を行うことができず、ために運転整理担当者の指令を早急に受けることが至難の状況にあり、しかも、時刻はまさにラツシユアワーに際会し、運転整理担当者の指令を待つていては時機を失する状況にあつたことが証拠上明かであつて、このような場合には、他に特段の事由の存しない限り、故障線路の両端関係駅長は、運輸係長または運転整理担当者の指令をまたず、各自の責任と権限とにおいて時宜に応じ閉そく区間または閉そく方式の変更を協議施行することが許されるものであり、またその義務があるものと解するのが条理上至当である。そのことは、運心準則第一〇項に「従事員は、事故が発生した場合、その状況を冷静に判断し、すみやかに安全適切な処置をとらなければならない」旨、同第九項に「従事員は協力一致して事故の防止に努め、もつて旅客及び公衆に傷害を与えないように最善を尽さなければならない」旨を定めている点に徴してもこれを推認するに難くない。高城被告人と広渡被告人との間に行われた本件折返し運転に関する電話連絡事項のうち、閉そく区間及び閉そく方式の変更に関する部分は、運心第一一三条の場合に準ずる駅長の専決施行に該当し、これが具体的な実施に移すための方法に関する部分は、運心第一一四条に「閉そく方式又は閉そく区間を臨時に変更する場合……の手続についての打合せは、駅長がこれを行わなければならない」旨を定める、同条にいう駅長の打合せに該当するものと解せられる。原判決が「線路故障により、列軍が運転不能に陥り、右故障箇所を中心として折返し運転をすべき場合、本件のようにその具体的方法について、運転整理担当者の指令を得られないときは、故障箇所両端の当務助役がこれを協議決定すべきものと解する」とし、高城被告人と広渡被告人との間に行われた本件折返し運転に関する連絡協議をもつて同被告人らの職務に関する事項の範囲内にあるものと認定したのは、まことに相当であつて右の認定に所論のような事実誤認の違法があるものとは認められない。

(ろ)高城被告人の職務上の義務の範囲の点(前同控訴趣意書各第二点)について。

(イ)一〇七列車の移動を不能ならしめる措置と高城被告人の義務の点について。

所論によれば、判示線路の故障箇所に停止中の一〇七列軍についてこれが移動防止の措置を講ずるのは、運転士の義務であつて、和白駅助役たる高城被告人の職務の範囲外に属する事項である、というのである。

運心第四〇七条によれば、線路の故障により急きよ列車を停止させる必要が生じたときは、列軍の進行してくる方向に対して、第三八九条の防護をしなければならないのであり、又、線路上に車両を留置し、もしくは動力のある動力車を留置するときは、運心第八四条ないし第八六条に従い、その転動もしくは自動を防止するためそれぞれ必要な措置を講じなければならないのであつて、これらの措置を講ずべき義務が運転士の義務に属し、駅の助役の義務に属しないこはもとより論をまたない。原判決が、高城被告人にその義務ありと認める一〇七列軍の移動を不能ならしめる措置が右のような措置を意味するものでないことは判文上きわめて明白である。

一〇七列車の永浜運転士が、線路の故障箇所に停止しながら、みずからの意思によつて同列軍のタブレツトの携帯を放棄してこれを和白駅に送り届けるという前述のような異例の措置に出た目的が、はたして奈辺にあつたかは記録上必ずしも明白でないが、同運転士は右のようにタブレツトの携帯をみずから放棄して、しかも事実上運心所定の防護の措置もまた全く実施していなかつたことは前述のとおりである。右のように、所要のタブレツトを携帯しないことを知りながら、しかも事実上その後方を無防護のまま開放している状態は、永浜運転士においては、事実上後方、すなわち、線路の故障箇所と新宮駅との間の自己の区間内に、他の列車が進入接近することの可能性を事実上全く考慮の外においている状態にほかならないものと解しなければならない。けだし、列車の運転士において自己の区間内に他の列車が進入接近することの可能性を考慮に入れる限り、後方の防護を実施しないまま開放しておくことは通常あり得ない事態であると認められるからである。そして、列車の運転士において、所要のタブレツトを携帯しない事実を知りながら、しかも他の列軍が自己の区間内に進入接近することの可能性を考慮の外においている異常の状態は、やがてタブレツトを携帯しないまま同区間をみずから運転することによる他の列車との衝突の可能性をも考慮の外においている異常の危険状態につながるものといわなければならない。したがつて、かかる状態にある列車は、これに対しその移動を不能ならしめる明確な措置、たとえば当該運転士に対し列車を移動させてはならない旨を通告して所定の防護を実施させる等の措置が講じられ、確実に移動しないことの具体的な条件が完備されない以上、ただ所要のタブレツトを携帯しないという一事のみによつて、ただちに所論のように列車たる性質を失うものと解するのは妥当でない。

高城被告人は、当務助役として、石橋車掌から線路故障に関する報告を受けると共に、一〇七列車のタブレツトの交付を受けてこれを受取り、きわめて異例の事態に直面するに至つたのであるから、この異例の事態を基礎として事後の列車運転に関する措置を講ずべき地位にあつた同被告人としては、同タブレツトの取扱い並びに線路の故障箇所に停止中の一〇七列車の動静に関して、特に深甚なる注意を用い、最善を尽して列車衝突等の事故発生の防止につとむべき特殊の職責があつたものといわなければならない。

もし、高城被告人において思いをここに致し、広渡被告人との間に、本件折返し運転に関する打合せを行うにあたり、新宮駅側の区間における折返し運転を、判示のように下り九列車から始めることなく、一〇七列車から始め、和白駅側の区間の運転列車に指導者を同乗させ、もとの一〇七列車のタブレツトはこれを和白駅の駅員にもたせて上り一〇六列車に乗せ、線路故障箇所に停止中の一〇七列車に交付させ、これを新宮駅側の区間における折返し運転に使用することとすれば或いは最も安全にしかも比較的迅速な処理が可能であつたのではないかと認められる余地がある。

しかし、新宮駅側の区間における折返し運転をいずれの列車から開始するかは、もとより関係駅当務助役間において時宜にしたがい、適当に決しうべき事項に属することはいうまでもない。ただ、一〇七列車は前述のように何ら防護の処置を実施することなく線路の故障箇所に停止していたものであり、高城被告人としては、タブレツトを持参した石橋車掌に問いただすか、或いは、駅員を急派して調査させるか等の適宜の方法をもつて、一〇七列車の動静、殊にその無防護の状態を容易に知りうべき事情にあつたのであるから、かかる無防護の列車の存する区間内における他の列車の運転を打合せるにあたつては、かかる無防護の列車が移動することのない明確な事実を確認するか、もしくはその移動を不能ならしめる的確有効な措置を講ずべき義務の存することはまことに明白であるというべく、高城被告人にかかる義務の存する事実を認定した原判決に所論のような事実誤認の違法があるものとは認められない。

(ロ)一閉そく区間一列車の原則と判示下り九列車の運転について。

所論によれば、線路の故障箇所に停止中の一〇七列車は、永浜運転士において所携のタブレツトの携帯をみずからの意思によつて放棄して和白駅に送り届け、みずから移動しない旨の意思を明示したのであるから、この事実によつて、運心第一〇九条にいう列車たる性質を失つたものである。のみならず、分割された後における新宮駅側の区間は、新宮駅と一〇七列車の後方防護の地点との間であつて、一〇七列車の存する範囲は、閉そく区間外に属する。従つて判示下り九列車の運転は、運心第一〇九条に定める一閉そく区間一列車の原則に反しない、というのである。運心第一〇九条には、一閉そく区間には二以上の列車を同時に運転してはならない。但し、左の各号の一に該当する場合はこの限りでない。と規定し、一号から四号までの場合を掲げている。本件が右の但書所掲の除外の場合にあたらないことは明白である。線路の故障箇所に停止中の判示一〇七列車が所論の事由によつて、右の運心第一〇九条本文にいう列車たる性質を失うものと解すべきでないことは前段(イ)項にすでに説示したとおりである。高城被告人と広渡被告人との間に行われた本件閉そく区間の変更に関する協議に際し、新宮駅側の区間を所論のように新宮駅と一〇七列車の後方防護の地点との間とする旨の協議が行われた事実を認むべき資料は本件記録上全く存しない。当審証人末岡与三郎の証言によれば、閉そく区間を表示するに際し、駅と線路の「故障現場」という表現をもつてする場合でも、厳密な意味での「故障地点」と駅との間に停止中の列車が存する事実を当事者が十分理解しているときは、右の「故障現場」とは、停止中の列車の防護地点の意味に解すべきである、というのであつて、右の証言には首肯すべきものが多分に含まれているとは認められるのであるが、本件においては、一〇七列車に防護の措置が事実上実施されていなかつたこと前述のとおりであり、閉そく区間の範囲は、事故防止の必要上元来明確なものであることを要するものと解せられるので、本件のように現実に防護されていない場合、ただ規定上もしくは観念上防護さるべきものと想定されるにとどまる想像上の防護地点をもつて閉そく区間の範囲を定めることは許されないものと解すべきである。したがつて、高城被告人と広渡被告人との間に協議決定された新宮駅側の閉そく区間は、新宮駅と線路故障の地点との間であつて、同区間における判示九列車の運転は一閉そく区間一列車の原則に反する方法というべく、その旨の事実を認定した原判決に所論のような事実誤認の違法があるものとは認められない。

(ハ)新宮駅側の区間における列車の運転に関する事項と高城被告人の義務について。

所論によれば、新宮駅側の区間における列車の運転に関する事項はすべて運転士もしくは新宮駅当務助役の職責範囲に属し、和白駅当務助役たる高城被告人の関知すべき事項ではない、というのであるが、本件折返し運転に関する限り、閉そく区間又は閉そく方式の変更に関する事項については、運心第一一三条の場合に準ずる駅長の専決施行の事項とし、またこれが具体的な実施に移すための方法に関する事項については、運心第一一四条所定の手続についての駅長の打合せ事項として、すべて高城被告人の職務権限の範囲に属するものと解すべきこと、すでに前段(い)項に説示したとおりであり、折返し運転に関し両駅間に具体的な打合せを行う目的は、一つには原判決も示すように、分割された両閉そく区間相互の連絡、乗客の乗りかえ等の措置を講ずるためであつて、乗客や積荷の輸送と絶縁された列車の運転ということは、輸送機関たる列車本来の目的に照して全く無意義のものとなり終らざるをえない。両閉そく区間双方の輸送上の連絡をはかる必要があればこそ、折返し運転に関する打合せが行われるのである。現に本件においても、下り九列車の乗客を一〇六列車に収容して和白駅の国鉄六一二列車に接続乗車させる打合せが行われているのである。九列車の運転に関する打合せが高城被告人の職務の範囲内に属することは明白であつて、これをもつて同被告人の職務の範囲外であるとする論旨は採用の限りでない。

(ニ)熊本運転士に対する指示事項と高城被告人の義務について。

当務助役が、折返し運転のため列車を発車せしめるに当つては、右列車の運転士に対し、既に協議決定された折返し運転の具体的方法について詳細且つ明確な指示を与える業務上の注意義務があり、高城被告人においては、広渡被告人との打合せによつて、やがて九列車が新宮駅より線路故障箇所に到着し、一〇六列車は九列車の乗客を収容して和白駅に折返すこととなつていたのであり、なお、一〇七列車の永浜運転士からは何分の指示を求める意向をもつて前述のようにタブレツトが届けられているのであるから、熊本運転士に対し、単に「指導式により折返し運転すべき」旨の指示をしたのにとどまり、進んで折返し運転に関するその具体的な事項、すなわち、九列車の運転予定、一〇七列車の措置等に関する何らの指示を与えなかつた高城被告人の指示は、前記(イ)の項説示のような、同被告人の特殊的な立場に照らし十全の指示であつたものとは断じ難く、これと同一の見解をとる原判決を目して、当務助役の義務を不当に拡大するものとする論旨もまた採用の限りでない。

第三、被告人広渡に関する事実誤認(清水弁護人の控訴趣意第一点)について。

被告人広渡において本件の場合、一〇七列車が移動することはありえないと判断したのは、そのタブレツトが和白駅に届けられている旨を高城助役より伝え聞いたためであつて、一〇七列車の乗務員に対し、いかなる指示がなされたか、換言すれば一〇七列車の移動を不能ならしめるにつきいかなる措置が具体的に講じられているかの点についての確認をすることのなかつたことは、証拠上明白である。かかる確認を怠り、一〇七列車が移動することはなかろうと軽信し同列車の存在を意に介することなく、漫然九列車を発車せしめたことをもつて、同被告人の過失と認定した原判決は相当であつて、原判決に所論のような事実誤認の違法があるものとは認められない。けだし、線路の故障箇所から最寄りの駅にタブレツトを送り届けたような特殊の場合においては、同列車の動静に関し深甚の注意を用い、その確実に移動しない状況であることの確認を得た後、はじめてその区間に他の列車を運転せしむべきは当務助役の職務上の義務であると認められること前に説示したとおりであるからである。タブレツトを携帯しない列車が移動することのないという判断は通常の場合にのみ支持されうるところで本件のような特殊異常の場合には、とうてい支持されえないところである。

もし、一〇七列車に対し、その移動を阻止する方策が講じられていないならば、和白駅助役を通ずるかもしくは被告人みずから一〇七列車の乗務員と連絡する何らかの方法を講ずることによつて確実に移動を阻止した上、その状況を確認して然る後はじめて後続列車を発車せしむべきである。熊本被告人による一〇七列車の運転を不能ならしめる措置を講ずることは決して困難な事ではなく容易に実行しうるところであつて、一〇七列車の運転が、被告人広渡にとつて不可抗力的であつたとする論旨は採用し難い。

第四、被告人吉野正勝に関する法令適用の誤若しくは事実誤認(和智弁護人外二名の控訴趣意書第一点和智竜一弁護人の控訴趣意書第一、二点)について。

列車の車掌には通常運転の場合にも異常運転の場合にも閉そく確認の義務の存しないこと、まことに所論のとおりである。しかし、列車の運転に関し或る種の危険の存する事実を察知することのできた場合においては、可能の限度においてこれが危険の排除につとめることは、列車に乗務する車掌の職務上の義務であるというべきである。本件において吉野被告人は、判示線路故障の現場において、同所に停車中の列車を発車せしめるにあたり、同列車にタブレツトも存せず、指導者の同乗もない事実を熟知していたのであるから、同列車の運転が無閉そく状態のもとにおけるものであり、列車衝突等の危険が著しく濃厚である事実を察知することができたものというべく、これが危険発生の防止方法の一として、発車の合図を避止することにつとめることが可能であつたことは証拠上明白である。同被告人において運転士熊本被告人に対し、発車を見合わすべき旨を勧奨するところのあつた事実は認めえられるのであるが、熊本被告人において「よか、(さしつかえないの意)行こう」と発車方を強調したため、ついに発車の措置に同調し、吉野被告人みずから発車の合図をするに至つたものである。車掌に、列車運転の前方の安全を積極的に確認すべき義務はないにしても、右のようにタブレツトまたは指導者が存せず、衝突の危険が著しく濃厚である事実を察知しながら、その危険の存しないものと判断すべき資料の存在につき何ら格別の留意をなすことなく、運転士が「よか、行こう」と主張するので安全であろうと軽信し、みずから容易に実行することの可能である、発車合図避止の措置に出なかつたのは、吉野被告人において、前記の注意義務を怠つた過失あるものというのほかなく、原判決の認定も右の趣旨であること判文自体によつて明かであり、原判決に所論のような法令適用の誤もしくは事実誤認の違法があるものとは認められない。論旨はいずれも理由がない。

第五、各被告人に関する量刑不当の点(各弁護人の控訴趣意書爾余の各点)について。

記録並びに証拠に現われた諸般の犯情に照らし、被告人熊本、同吉野に対する原判決の刑の量定はいずれも相当であると認められ、特にこれを不相当とすべき事由なく、所論の諸点を参酌考量しても、なお原判決の刑の量定が相当でないものとは断じ難い。同被告人両名に関する論旨は採用の限りでない。

しかし、被告人高城、同広渡の両名に対しては刑の執行猶予の言渡をするのが相当であると認められ、その言渡をしない原判決は刑の量定が相当でないというのほかなく、この点に関する論旨はいずれも理由があり、原判決のうち同被告人両名に関する部分は破棄を免かれない。

よつて、刑訴第三九六条により被告人熊本芳、同吉野正勝の本件控訴を棄却し、刑訴第三八一条第三九七条により原判決のうち被告人高城正雄、同広渡正和の両名に関する部分を破棄し、刑訴第四〇〇条但書に従い、本件について更に判決する。

被告人高城正雄、同広渡正和の両名にかかる罪となるべき事実は、原判決摘示事実のうち、同被告人両名に関する部分のとおりであり、法令の適用は、各刑の執行猶予の点につき刑法第二五条を適用し、当審証人末岡誉三郎に支給した訴訟費用の負担につき刑訴第一八一条第一項を適用するほか、すべて原判決の示すとおりである。

以上の理由により、それぞれ主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 筒井義彦 裁判官 柳原幸雄 岡林次郎)

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